2016年 04月 20日
未来に残るべき川 |
はじめてこの川に関心を持ったのは
ある釣り人の背中を見てからである
ルアーを投げ、まるで底波を探すように竿を捌き
ルアー・餌・フライ
どの要素も組み込まれたようなその背中に
目の前の川を忘れ釘付けになったことを今も覚えている
アンティーズハウス 船沢さん
それがこの地への関心となった
私自身も、幼少から徒歩でいける一級河川のそばで生まれ
網で小魚を捕まえたり、水の中に草履でつかりながら、鮎をコロガシで狙う釣り師の物まねじみたことをしたり、投網を打つ地元の漁協のおじさんについて行って遊んだりと、水辺で遊べたギリギリ世代として幼少期を送った。
夏休みになれば都会に残された最後の渓谷と言われる場所で、セミやまだ生息していた微量のカブトムシやクワガタを虫取りかごと網を片手に、5時のチャイムが鳴るまで汗だくになった追いかけ、近所のガキ大将に因縁をつけられて、手段を選ばず喧嘩をしたり
今思えば、人生にとって、見えないけれども「かけがえのない」大事なものを学んだ気がする。
いつか清い水辺に憧れ、物心ついたころには地元の水辺から遠方に足を向け、都会の一級と言われる汚染と進化を全て完成させてしまった川の姿を横目に、嘗てこうであった、であろう清き水辺を「美しい」と感じた。
世の中は、どんな時代でも進化していき、その流れを止めることは難しい。
どんなに素晴らしい未来予想図を描いたとしても
その裏で又、異なる未来予想図を描く人がいる。
「何を正しい」と判断する大切さ
よりも
「何を正しい」と決めつけ合うことを辞めず
人が人と争いをはじめることよりも
人が人と考え
みんな
で力を合わせて組み上げる文化が数多く残っていけば
必ず未来予想図のかたちにも変化が出てくると感じる
未来に残るべき川
それは全ての川であり水辺であるが
今のかたちの進化の速度を緩め
残っていって欲しいと思う
この川
そんな川に浸かりながら
自然や人々の心、水辺への思いを感じながら
釣りというひとつの遊びの中で独特なスタイルで
魚と戯れるその一人の「釣り師」の姿を見たときに
「釣り」をする本人よりも、川であり、自然であり
主役となるべき本質に関心があったと言っても過言ではないほど
この地の流れは、素晴らしいものだった。
釣行を終えて驚くほどに美味しい食事に舌鼓を打ち、真夜中までくだらない話から未来への思い、そして子供達に残してあげたい自然、虫や風
あっと言う間に「夢のような時間」が過ぎてしまう。
日頃、無理した身体は、死んだように横たわりながら、朝日を目覚ましにゆっくりと起きた目の先に、あったかいコーヒーが用意され、厚切りのパンをほおばりながら、今日なぞる流れを妄想しながらワクワクドキドキが止まらない。
これは、子供の頃、昆虫採集に行く時も、水辺に行く時もおんなじだった気がする。
「おとな」になって何が変わったのか
「おとな」の容姿になっただけで「こども」なのか
「おとな」になって「こども」の心を捨て「大人」になってしまったのか
「おとな」の容姿になって「こども」の心と「大人」の信念を持って生きていくのか
どれが正解である
とは断言することは難しい
しかし
人として人を裁くこと
いらぬ陰口で派閥を築き
いらぬ偏った文化を定着させること
人として人を蹴散らすことの醜さは
武士の掟でも、人の道としても
反する道
刀は背負っても、鞘を抜かぬのか
切って切って切りまくるのか
自然も都会も、どんなところにも
生活する人々がいて
それぞれの儀を貫く為に日々切磋琢磨している
そのひとつひとつ
全てが、何が間違っていて
何が正しいとは判断が付かない
家族を支え、人を支え
自然を愛し、人を敬愛する
越後国で生まれた上杉、直江という多くの先人が何かを語るのであれば
未来の町や村のこと
その水辺の大事さを含め、どのように変えていきたいのかを
じっくり聞いてみたいものだ
この素晴らしい地を訪れる人々に
ほっとできる場所を築き
水辺で遊ぶ素晴らしい「釣り方」を説く
船沢京介
という一人の「釣り師」に出会ったことは
私にとって必然であり、同時に大切なものをたくさん教えてくれた
かけがえのない人生という流の中で
この川への関心を益々引き出してくれた
素晴らしい時間でした
この川を
おもいっきり楽しんでみたいと思う方々は
是非とも一度足を運んでみてください
必ず
必ず
「何か」を感じることができると思います。
釣果のほうは
仲間が美しい小さな魚を掛けて
私は完全試合
ある意味課題を残しながら?
次回へとなりました
しかし
もっともっと
この地で会いたい人々に
必ず近い将来
もっともっとたくさんいろんな話を聞いてみたい
また、必ず
川の流れとこの川の流れに向かう
全ての人々に
感謝
by fourseasonss
| 2016-04-20 10:29
| 引出し