2014年 01月 25日
小さな輪 大きな輪 |
この度の北海道における虹鱒の問題で
最近感じたことがある
このような問題が起きることで
ある意味、感じた様々なこと
私なりに、様々な情報収集から
再度、状況を見直して
微力ながら、協力できればと走ってみて
今回の問題以外の側面を色々考えることのできる時間にもなった
北米に住んでいた頃
当たり前だと思っていたフィッシングライセンス
年券 週券 日券と区分けされ
且つ、釣った魚の種類 大きさ 場所 月日までを記載する枠までもうけられている
無論、ライセンスを所有しないものには、重い罪が課せられることとなる為、ノンライセンス者による密漁も、極めて低いとも言われている。
一方、ガイドは、各州が認めた、公認プロガイドしか、ガイドすることはできない。
我が友でもあり師であるスコットハウエルも、その一人だ。
エリアごとに存在するプロガイドは、行政の協会に所属し、公認のガイドとなり、保全活動、ローカルルール、人間性など様々なことを守ることができるものだけが許可され、審査基準も高い為、即始めることができるものではない。
こういったことで、スキルにおいても経験値と社会的貢献度を加味した上に、しっかり「プロ」が存在し、各メーカーからのスポンサーがしっかり付くことで、プロガイドという職種も、しっかりとした市民権を得ることができるのが海外の現状だ。
また、各協会に至っては、その行動範囲も、組織構成も、各分野に分かれて、行政直下でしっかりとした行動を行っている。
諸先輩から最近伺った話では、世界保全会議を行ったり、活動ひとつを取っても、魚を育て、放流するだけではなく、魚が餌とする川虫をどう育てていくのか、魚の産卵をどう促進していかなくてはならないのか、など
様々な方面での配慮を行い、このような行動を、しっかりと行政とのやり取りの中で行っていける環境が世界のフィールドのスタンダードとなっているのはまぎれもない事実。
このようなことで、社会的地位が確立された釣りを本業とするものは、メーカー、スタイルを問わず、「ひとつの大きな輪」の中で、釣り以外の側面からも、しっかりと自分達の立場を把握し、プロとして物事を伝える、果たしてこの状態が我が国、日本に当てはまるかは、少々異なる。
私達は、大好きな「釣り」を通じて、「人」を大事にする気持ち、一社会人として、釣りをしない人々にも、釣りの素晴らしさだけではなく、フィールドで起こっている自然環境のことや、様々なメッセージ、地域住民の抱える問題、ひとつのレクリエーションとしての提案など、全ての要素を踏まえた上で、今一度考える課題ができたのかもしれないと個人的には感じた。
目立ちたい、商売として成り立たせたい、はたまた自分が正しいと語りかけたい、そんなことになんの意味があることか。
むしろ、人の意見を聞けないものほど、自らを惨い方向に向けるもの。
人々を幸せに少しでもできるエッセンスが、より多く含まれる環境を目指し、「釣り」を通じて、一人の人間として成長していける環境ができれば、教育の場として、若い世代へ伝えていくことの意味合いを持ち、「釣り」をしたいから、しっかり教育を受け、仕事との両立を図れる大人へと成長していこうと思える。
理想論かもしれませんが、そんな環境が少し少しでも、できていけばどれだけ幸せなことか、とは感じる
長い歴史の中で、釣り先進国である各国が行ってきた「目に見えない努力」
そんなことからも今だからこそしっかり学んでいければいいのに、と感じる。
様々な考えや、議論もある内容かとは思います。
私の考えなんて、ひとつの意見でしかないし
むしろ議論無くして解決する問題ではないと思う。
ただ単純に、商売として困るから、だけではなく
人と自然 人と人が共存していく中で、大事な「幸せ」という環境
その環境を目指すのであれば「苦労」「時間」「意志」全てにおいて「釣り人」がひとつになるタイミングでもあるのかもしれない。
いや、むしろ「釣り人」だけの意見で解決するべき問題ではないと感じた。
北の大地で頑張っている多くの仲間達
今、国内の同じ仲間達も、反対意見、賛成意見も様々かもしれませんが
何かを感じていることと思う。
今、直面する問題に囚われるだけではなく、こうしたらいい、こうしておけばよかった、様々なことを感じて、行動していくことも大事なことかもしれない。
明日のフィールドを守っていかなくてはならない、これは少なからず我々釣りをする全ての仲間が、考えていかなくてはいけないこと。
同じ釣りをする仲間が、どんなに違う考えの人でも、どんなにスタイルが違う人でも、心の中にある本音の部分で共感していれば、きっと「大きな輪」へと成長していくと願いたい。
問題が出てきたのなら、変化しなくてはならない。
同じあやまちの繰り返しだけは避けなくてはいけない。
最後に嘗て、聖徳太子が残した言葉を残します。
和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人は徒党を組みたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親の言うことに従わなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし、上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議するなら、自然とものごとの道理にかない、どんなことも成就するものだ。
by fourseasonss
| 2014-01-25 17:57
| 引出し